猪俣先生の名前を発見!
矢沢永吉に「チャイナタウン」をひとり往くハードボイルドな男をみた作詞家の山川啓介|TAP the SONG|TAP the POP
矢沢永吉さんて正直言うとアルバムは持ってない。
でも昔からめちゃ気になってる。
生き様、世界観がものすごいじゃない、この方。
すごく魅かれるんですよねぇ。
って言うことでTAP the POPで矢沢永吉さんのお話が出ていたので読んでいたら、、師匠の名前が、、こんなところで!!!
「チャイナタウン」を作詞した山川啓介は1972年に青春ドラマ『飛び出せ!青春』の主題歌、『太陽がくれた季節』(歌・青い三角定規)がヒットチャート1位になり、作詞家として大きな注目を集めたが、その印象が強すぎて“青春歌謡作家”というレッテルをはがすのに苦労したという。
そんな山川に着目したのが矢沢だった。
松本隆や西岡恭蔵といった新しい表現者たちに作詞を依頼していた矢沢は、”無名でもいいから、詞は俺の思いを伝えてくれる奴に頼みたい”と考えていたのだ。「そのころ僕は、ジャズドラマーの猪俣猛さんのリサイタルで構成を担当していて、猪俣さんに依頼されてある洋楽曲の訳詞を書いたのですが、その歌のことを、バックバンドのギタリストだった水谷公生さんが矢沢さんに「こういうのを書く奴がいるよ」と話してくれたんです。
矢沢さんが会ってみたいということで呼ばれまして、書かせていただくようになりました。
アルバム『A DAY』に書いた『親友』が最初だったでしょうか。
いわゆる青春ものとは違う僕らしいものが書けたことは、大きかったと思います」
(「作家で聴く音楽」 山川啓介 – JASRAC http://www.jasrac.or.jp/sakka/vol_31/inner1.html)山川は矢沢から送られてきた英語の仮歌が入ったデモテープを聴いて、センテンスとしての意味はなくとも、サウンドとしての英語からノリを感じとって、伝えたい思いを考えながら詞を書いたという。
特に猪俣先生の話ではないのですが名前がこういうところでお目にかかれるのは妙に嬉しいものでございます。
コメントを残す